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積極的な経済政策(レーガンノミックス)を採用した結果、ドルが上昇しアメリ力の貿易赤字/財政赤字が急増し、世界経済に不安な状況をつくりだしてしまいました。
プラザ合意によるドル相場の調整で、ドルは当局の思惑以上に下落を続けました。
当局は懸命にドル買い介入を行いますが、相場の勢いには抵抗できず、1994年6月には1ドル=100円を割り込みました。
相場は勢いがつくとさらなる相場を要求する傾向があります。
当時だろうという予想が誌面を賑わしました。
ドルは1995年4月に歴史的最安値1ドル=79円75銭をつけました。
一説に1ドル=50円説もあったドル安に終止符を打つときがきました。
「ミスター円」で知られるK原英資氏(現慶応大学教授)が大蔵省(現財務省)国際金融局長に就任すると、「円は実力以上に高くなっている。
1ドル=110円が妥当なところ」と周囲に宣言しました。
ドルの押上げ介入をして人為的に円安誘導をしました。
1995年8月には日本、アメリカ、ドイツの中央銀行が協調してドルの買い介入を行いました。
その結果、同年9月に100円を回復しました。
回復するとは誰も考えませんでした。
相場が反転するとドル相場はあっさりと1ドルは100円を回復しました。
このように為替相場は予想外の展開になることがよくありますので、常に注意が必要です。
その後ドル相場は堅調になり、1998年10月に147円まで値を戻しました。
その背景には1998年4月に改正外為法が施行されたことがあります。
各銀行で「高金利の外貨預金」キャンペーンを行いました。
それがブームとなりドル買い需要が旺盛となりました。
銀行でも連日顧客からの為替オーダーのほとんどが買いオーダーでした。
そのドルが1日にして暴落したのです。
1998年9月末に巨大ヘッジファンドが破たんしたというニュースが報じられ、ドルは翌日には111円となり2日間で20円近くも暴落しました。
いままでみてきたように、外国為替相場はあるとき突然大きく変動することがあります。
大きな為替ポジションを保有していると大きな損失につながります。
したがって、為替ディーラーは、原則として為替ポジションを翌日へ持ち越すことはしません。
為替相場の変動リスクは為替ポジションの大きさと保有期間の長さに比例するからです。
また為替ディーラー経験者がドルの新規ポジションを取るときにドルの買い時を待つよりドルの売り時を待つ傾向にあるのは、ドルは上昇するよりも下降するほうが、短期間に大きな変動をすることを実感として経験しているからです。
ニクソンショックに始まり、プラザ合意、ヘッジファンド破たんと、その度にドルは短期間に暴落しました。
これらのニュースはドルを売持ちにしていれば大きな利益を得られる象徴的な出来事でした。
ドル相場は1971年から1994年までの23年間は円高相場でしたが、インターバンク市場とは、銀行間で為替取引をする市場のことをいいます。
最近では銀行の他一部証券会社もインターバンク市場に参加しています。
インターバンク市場は、もともとは、顧客取引から生じる為替持高に対して反対売買(カバー取引といいます)を行い、為替持高を調整する場として使われていました。
為替持高調整といっても、顧客取引一件ごとに反対取引をするわけではありません。
為替ディーラーは輸入決済額(売り為替)と輸出手形買い取り額(買い為替)の差額のみを、市場相場動向を予想しながら少しでも有利な相場で、カバー取引を行います。
営業時間終了時には売りと買いの為替持高を均衡にしてネット持高をゼロにします。
付け(インパクトローン)、外貨預金、外貨証券投資などの資本取引が解禁となりました。
貿易取引に加えて資本取引でも為替取引が活発化したのでインターバンク市場の取引量は飛躍的に増大しました。
この頃から、海外の為替市場でドル円取引が活発に取引され始めました。
海外の銀行あるいは海外の投資家から日本の銀行に為替取引依頼が増加してきましたので、東京外国為替市場が終了した午後3時30分以後也、ドル円取引が活発に行われるようになりました。
行が、収益の柱のーっとして、為替相場変動を利用して為替取引を行い、為替売買益を狙うという施策をとりはじめました。
ロイタ一社が提供するロイター・ディールという電子為替取引システムで取引することが一般的になりました。
大きな声で取引をしていた電話主体の取引からキーボードで取引をする画面(スクリーン)取引にしだいに移行していきました。
ブローカーも従来のボイスブローカーから電子ブローカーに役割が取って代わりました。
為替ディーラーが為替取引をする方法として、為替ブローカー経由取引と電話またはロイター・ディールという為替取引システムを利用して相手銀行と直接取引をする量最前があります。
東京外国為替市場では、1984年に直取引が解禁になるまでは、原則として為替ブローカー経由の取引に限定されていました。
為替ブローカーには多数の銀行から売買注文が入りますので、実勢相場が手に取るようにわかります。
銀行はブローカーに売買注文を出すことと引換えに、ブローカーから実勢相場情報を得ていました。
現在では、市場実勢相場はインターネットですぐにみられるようになりましたが、情報通信機器が発達していない当時は、ブローカーからの売買注文情報が唯一の情報源でした。
為替ブローカーは銀行の為替ディーリングが華やかなりし頃には8社ありましたが、多くの銀行がリストラにより為替ディーリング業務を廃止したため、為替ブローカーの合併、廃業などにより、現在ではメイタン・トラディション、トウキョウフオレックス・上田ハーロ一、日短FXの3社のみになりました。
為替ブローカーの電話と銀行のディーリングルームの電話は、専用回線で結ぼれています。
スイッチを押すと為替ブローカーにすぐ電話がつながる仕組みです。
為替ブローカーは複数の直通電話で複数の銀行から売買注文を受け付けます。
為替ブローカーが受け付けた注文の中で、最も高い買い相場と最も安い売り相場が市場の買い値と売り値になります。
ブローカーは市場の買い値と売り値が変わるたびに、為替ディーラーに伝えます。
ディーリングルームに設置したスピーカーからは複数のブローカーから絶え間なく相場情報が流れてきますので、相場が激しく動くときは取引が活発になり、騒々しくなります。
為替ブローカーは、刻一刻と変化する市場実勢相場をすばやく伝えるために、1円以上の数字は省略し、1銭単位で、買い値と売り値を伝えます。
たとえば、市場の買い値が109円05銭、売り値が109円10銭とすると、109円を省略して105、1O(マルゴ、イチマル)」といいます。
これを聞いてディーラーは、市場には109円05銭で買い注文が109円10銭で売り注文があると理解します。
ディーラーがドルを売りたいと思うと105 5 Yours (マルゴ、ファイブ、ユアーズ)」といいます。
これはi109円05銭で500万ドルを売ります」ということを意味します。
05銭買いがなくなると次に一番高い買い注文が100円00銭になります。
売注文100円05銭が新たに出てきます。
そのとき、市場実勢は、「00、05(チョウド、マルゴ)」 となり、ドル相場が5銭動くことになります。
このようにして相場が変動していきます。
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